昨日は「珈琲屋OB」という巨大なコーヒーを出す変な店に行って、昼から5時間ぐらい居座り、下写真のようなものを飲み食いしつつプログラミングをしたり文章を書いたりしました。

OB


右はこの店の出す普通のアイスコーヒー(390円)。たぶん通常の3倍ぐらいの量でしょうか。後ろにあるiPodがiPod nanoにしか見えません。でも実は、これはこの店におけるスモールサイズ的メニューだったらしく、他の人が注文してた変な飲み物は明らかに1リットル以上ありました。そっちを頼めば良かったと後悔しています(ちなみに、それを頼んだ人は写真撮りまくってました)。

左にある物体も何だかよくわからないと思いますが、これは「ホットサンド」という食べ物です。メニューに載ってたので何が入ってるのか聞いてみたら、店員さんもよく知らなかったんですが、とりあえず注文してみたらこんなのが出てきました。なぜかポップコーンにサンドイッチ2つが埋まってます。中身は卵、ハム、ツナ、レタス、トマト、チーズ等々、とにかく色々入ってました。どうやら店員さんはこのホットサンドのことを知らなかったんではなくて、具の種類をちゃんと覚えてなかったようです。

hanada[1]ちなみに味はコーヒーもホットサンドもおいしかったです。特にコーヒーの味は個人的に非常に好みでしたが、ポップコーンはちょっとしけってました。たまに調理場から爆音がするので、その直後に注文するとサクサクなのではないかと思います。


・・・とこんな感じで、1ヶ月ほど前からプラプラと適当な店に入って飲食しつつ開発などをするのが習慣化してきました。家にずっと居ると嫌になってくるというのもありますが、それより問題なのは自由で便利すぎることです。

家にいると、ネットはできるし、プログラミングの参考資料はいっぱいあるし、本もマンガもあるし、爆音で音楽聴けるし、寝れるし、とにかく自由で便利なんですが、実際のところ本当にやりたいことが全然できなくなります。特にネットをダラダラとやって時間を浪費にすることが多く、いつでもネットができるという自由が、結果として僕をネットに縛り付け、自由を奪っていると言えます。物理的にはとても自由ですが、心理的にはこれほど不自由な場所はありません。

自由は自分の行動をコントロールする力だと言えますが、分不相応な力というものは所有者を不幸にするものです。これは物理的な力(腕力、軍事力)にも、知力にも、経済力(お金)にも言えることですが、特に突然力を手に入れてしまった人は、そのせいで失敗することが多いと思います。1億円欲しいかと聞かれれば、誰だって欲しいと言うでしょう。でも、本当に突然それをもらってしまったら不幸になる人は多いのではないでしょうか。実際、高額な宝くじを当てた人は、それで人生を狂わせることがあり、自己破産までする人も多いそうです。

こういうことが起こる理由は、「力」を役立てるには「力を扱う力」が同時に要求されるからです。この2つは一緒に手に入るわけではないので、お金にしろ地位にしろ、力ばかりを追い求める人間が幸福になれないのは当たり前のことだと言えます。

自由という力についても「自由を扱う力」が伴なっていなければ、手に入れた瞬間にその自由は色あせてしまいます。ニートになりたての頃、僕はこれを実際に経験しました。

ニートになった感想 - ぺったんぺったん
ニートになりました。
僕は、高校には寝るために行ってたし、大学も4年制のところをきっちり5年かけて単位ギリギリで卒業した割とフリーダムな人間ですが、何だかんだでレールの上に乗っかって生きてきました。ここまで自由になったのははじめてですが、実際に手にして見ると、自由ってそんなにいいもんでもないですよね。

ニートになって突然巨大な自由を手に入れた僕は、それを持て余して無駄の多い生活をしていました。3ヶ月ほど経った今は、喫茶店やファミレスなどの不自由な環境で多くの時間を過ごすことで、ある程度この自由を制御できるようになりましたが、結局これは、物理的な自由を捨てることによって心理的な自由を得たということであり、大きすぎる自由を扱うだけの力を僕は持っていなかったと言うことかも知れません。小飼弾さんは毎日ほとんどご自宅にいらっしゃるそうですが、僕がこのスタイルを取ると自分のやりたいことができなくなります。弾さんが持っている「自由を扱う力」を僕は持っていないということでしょう。

「自分のやりたいことができること」を「本当の自由」だとするなら、それを獲得するためは、今の僕のように束縛を断つだけではまったく不十分で、そこに「自由を扱う力」が伴う必要があります。それを持たないならば、今僕がしているように自由を捨てて不自由な環境に身を置いた方が、かえって「本当の自由」に近づけるのかも知れません。