失われてない十五年−まとめ
ここ15年ほど、マスコミの連中は日本の経済成長が止まっていると言い続けてきた。政府もそれを鵜呑みにしているし、一般的にもこの見解は通説、常識になっているようだ。でも、それって本当だろうか?そもそも「経済成長」ってのは何なのか。ていうか、そもそも経済って何だろう?
これじゃ何のことだかさっぱり分からない。まぁ一般的な用法としては、「世の中のお金に関すること」を経済って言っていると思う。じゃ、なんで上の定義はお金について触れていないのか?Wikipediaだから?いや、広辞苑にも似たようなことが書いてある。つまり「経済」ってのはもともと「お金に関すること」じゃないってことだ。お金は「もの」の取引においてはずーっと中核を占めていたから、今や経済成長を金で測定することに疑問を持つ人は少なくなった。でも、この見方は古すぎる。もう経済成長とお金はたいして関係ないのだ。
経済成長というものを大雑把に分けると、以下の3つになる。
それぞれ例をあげてみよう。
「1.量の成長」は数字で測れる進歩で、昔の経済成長はこれが中心だったから数字で測り得た。有名な数字はGDP(国内総生産)だ。日本のGDPは500兆円ぐらいまではぐんぐん増えていたのに、そこで止まってしまったので、これが経済成長が止まってるという常識の最大の根拠になっている。
では、なぜGDPという指標で経済成長を測るのか?以下でリンゴしかない国を例として考えてみる。分かる人(と読むのが面倒な人)は飛ばして下さい。
ということで、「1.量の成長」のみに着目するなら、GDPで経済成長は分かりそうだ。しかし、問題は残りの2つである。
こんなのをどう数字で測れというのか?量だったら、2倍とか3倍とか数値化できるからいいけど、「おいしくなりました」みたいな「2.質の成長」は数値化できるのか?何%質が良くなりましたとか、何倍質が良くなりましたとかってのは客観的に言えることなのか?無理でしょ。言えるわきゃない。
ここで既に、お金で経済成長を測る手法に無理が生じている。典型的なのはパソコン市場だ。パソコンの性能は日々ぐんぐん上がり、値段は下がっていくのに、この業界を総売上で評価して「パソコン産業は停滞している」とか言う意見をたまに見かける。そんな評価に何の意味があるのか?的外れという他ない。性能が上がって、値段は安くなって、たくさん売れて、皆が日常的に使うようになったんだから、どうみてもパソコンの経済は成長してるでしょ?
この多様化については論外である。そもそも量で測るということは「一次元化」することであり、多様化は「多次元化」することで、絶対に量で測れない変化だと言える。これを金や数値で計測しようとすることは、定規で重さを測ろうとすることと同じくらいバカげたことだ。いや、もっとバカげている。
例として、服について考えてみる。中国(仮)と日本(仮)という2つの国があるとしよう。両国の服産業は、下のような10着の服を1年に販売する。
1.中国(仮)の服産業

2.日本(仮)の服産業

どちらの国も1着1000円で売ってるとすると、服産業はおなじ10,000円規模だということになる。金額で見ると、どちらも同じ経済発展レベルだというバカみたいな見解になってしまう。
金額で経済の多様性を見るということはこういうことであり、無意味という他ない。実際、かつての旧ソ連の産業は、先進国と比べるとこんな有様だったらしい。たぶん計画経済だった頃の中国も大差なかっただろう。(そしてこれが社会主義計画経済が滅びた理由だった。)
しかも、実は「3.多様化」で一番重要なのはこういう「もの」のバリエーションの増加じゃない。中心となるのは「ものの生産」から「情報の生産」へのシフトであり、経済のソフト化だ。情報をコピーするコストはほとんどゼロだから、「情報の生産」というのは「情報の量」を増やすことではあり得ない。「情報の質」を良くすること、もしくは「情報の種類(多様性)」を増やすのが情報の生産である。で、その生産って金額で測れるものなのか?
俺は会社でソフトを作っているが、windowsXPをもう1つ作ったりしてるわけではない。家ではぺったんを作ったりするが、ニコニコ動画をもう1つ作ったりはしない。この「情報の生産」は、既にあるものの量を増やすわけではなく、種類を増やす行為「3.多様化」だと言える。他には、ソフトのバグを直したり、改良したり、新機能を追加したりもする。これは「2.質の成長」である。情報の生産とはこういうものであり、明らかに「1.量の成長」ではない。こんな分野の経済を金額ベースで測って意味のあるデータが得られるんだろうか?
近代経済の進歩は、大量生産、大量消費の「1.量の成長」から始まった。ものが行き渡ってくると徐々に「2.質の成長」へとシフトし、いつしかそれも飽和して経済は「3.多様化」へと向かう。インターネットとかソフトウェアみたいな、最近の経済の発達の中心になっているものはこの「多様化」に属するものばかりで、いわゆる「ロングテール化」もこの多様化そのものである。一方で「2.質の成長」が既に意味を失いはじめているという興味深い意見もある。
つまり、経済の発展はどんどん「1.量の成長」からも「2.質の成長」からも遠ざかっているってことだ。こんな時代の趨勢をGDPのような量的指標で把握しようとするのは馬鹿げている。
池田氏が言うように、情報を売るのは難しいから、情報はお金と関係のないところで取り引きされるものがほとんどになってきている。だから、情報の経済の動向をお金で把握できるわけがないのだ。
さて、ここらで冒頭で引用したWikipediaの「経済」の項目をもう一度見てみよう。
情報の「生産・分配・流通・消費」が、日本においてインターネットとコンピュータの爆発的な普及とともに凄まじい速度で発展していることに異論はないだろう。ということは、この定義で言えば、日本の「情報の経済」は凄まじい成長を遂げていると言うことになる。これは「3.多様化」の観点から見ると、ここ15年ほどの日本は飛躍的な経済成長を遂げているということを意味する。
以下続稿。
失われてない十五年−2.日本人のインターネットへの異常な渇望
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ここ15年ほど、マスコミの連中は日本の経済成長が止まっていると言い続けてきた。政府もそれを鵜呑みにしているし、一般的にもこの見解は通説、常識になっているようだ。でも、それって本当だろうか?そもそも「経済成長」ってのは何なのか。ていうか、そもそも経済って何だろう?
経済(けいざい economy)とは、人間社会における生産・分配・流通・消費等の活動をめぐる関係性の総体をいう。
経済 - Wikipedia
これじゃ何のことだかさっぱり分からない。まぁ一般的な用法としては、「世の中のお金に関すること」を経済って言っていると思う。じゃ、なんで上の定義はお金について触れていないのか?Wikipediaだから?いや、広辞苑にも似たようなことが書いてある。つまり「経済」ってのはもともと「お金に関すること」じゃないってことだ。お金は「もの」の取引においてはずーっと中核を占めていたから、今や経済成長を金で測定することに疑問を持つ人は少なくなった。でも、この見方は古すぎる。もう経済成長とお金はたいして関係ないのだ。
経済成長というものを大雑把に分けると、以下の3つになる。
1.量の成長
2.質の成長
3.多様化
2.質の成長
3.多様化
それぞれ例をあげてみよう。
1.量の成長・・・リンゴを去年の2倍つくりました。
2.質の成長・・・リンゴを去年よりおいしくしました。
3.多様化・・・去年よりいろんなリンゴをつくりました。
2.質の成長・・・リンゴを去年よりおいしくしました。
3.多様化・・・去年よりいろんなリンゴをつくりました。
「1.量の成長」は数字で測れる進歩で、昔の経済成長はこれが中心だったから数字で測り得た。有名な数字はGDP(国内総生産)だ。日本のGDPは500兆円ぐらいまではぐんぐん増えていたのに、そこで止まってしまったので、これが経済成長が止まってるという常識の最大の根拠になっている。
では、なぜGDPという指標で経済成長を測るのか?以下でリンゴしかない国を例として考えてみる。分かる人(と読むのが面倒な人)は飛ばして下さい。
リンゴの国の経済とお金の関係
近代国家の中央銀行は、ものの生産量が増えるのと同じくらいお金を刷るようにしていた。そうしないと経済がおかしくなるからだ。どうおかしくなるのか?まずそこから説明する。
★1年目
リンゴの生産力:5個
国民:5人
国民が使えるお金:100円
5人×100円で、この国で使われるお金の量は500円だ。
リンゴは5個なので、1個あたり500円÷5個=100円の値段がつく。
この年は500円のお金が使われたので、GDPは500円だ。
では翌年、住民が工夫して、リンゴの生産力が2倍にパワーアップしたとしよう。
★2年目
リンゴの生産力:10個 (×2)
国民:5人
国民が使えるお金:100円
お金の量はさっきと同じ500円で、リンゴの数は2倍になっている。
これだと 500円÷10=50円 となり、リンゴには半額の50円しかつかない。売上も500円のままだ。リンゴを作った人はパワーアップして損した気分だろう。これがいわゆる「デフレ」である。GDPも500円のまま成長しなかった。
でも、近代国家のかしこい中央銀行はこの問題を解決している。
★2年目(かしこい中央銀行の場合)
リンゴの生産力:10個 (×2)
住民:5人
みんなの所持金:200円 (×2)
中央銀行はリンゴの値段が落ちないように、お金の量を2倍に増やす。みんなの使うお金は200円×5人=1000円なので、GDPは前年比2倍の1000円になり、リンゴの生産力パワーアップ分をちょうど反映している。
リンゴを作った住民も工夫の甲斐があったというものだろう。
こんな風に、中央銀行が上手に金融政策を取ればGDPは生産の量を反映する。どうやらこのリンゴの国なら、GDPで経済成長を測れそうだ。
近代国家の中央銀行は、ものの生産量が増えるのと同じくらいお金を刷るようにしていた。そうしないと経済がおかしくなるからだ。どうおかしくなるのか?まずそこから説明する。
★1年目
リンゴの生産力:5個
国民:5人
国民が使えるお金:100円
5人×100円で、この国で使われるお金の量は500円だ。
リンゴは5個なので、1個あたり500円÷5個=100円の値段がつく。
この年は500円のお金が使われたので、GDPは500円だ。
では翌年、住民が工夫して、リンゴの生産力が2倍にパワーアップしたとしよう。
★2年目
リンゴの生産力:10個 (×2)
国民:5人
国民が使えるお金:100円
お金の量はさっきと同じ500円で、リンゴの数は2倍になっている。
これだと 500円÷10=50円 となり、リンゴには半額の50円しかつかない。売上も500円のままだ。リンゴを作った人はパワーアップして損した気分だろう。これがいわゆる「デフレ」である。GDPも500円のまま成長しなかった。
でも、近代国家のかしこい中央銀行はこの問題を解決している。
★2年目(かしこい中央銀行の場合)
リンゴの生産力:10個 (×2)
住民:5人
みんなの所持金:200円 (×2)
中央銀行はリンゴの値段が落ちないように、お金の量を2倍に増やす。みんなの使うお金は200円×5人=1000円なので、GDPは前年比2倍の1000円になり、リンゴの生産力パワーアップ分をちょうど反映している。
リンゴを作った住民も工夫の甲斐があったというものだろう。
こんな風に、中央銀行が上手に金融政策を取ればGDPは生産の量を反映する。どうやらこのリンゴの国なら、GDPで経済成長を測れそうだ。
ということで、「1.量の成長」のみに着目するなら、GDPで経済成長は分かりそうだ。しかし、問題は残りの2つである。
2.質の成長:リンゴが去年よりおいしくなりました。
こんなのをどう数字で測れというのか?量だったら、2倍とか3倍とか数値化できるからいいけど、「おいしくなりました」みたいな「2.質の成長」は数値化できるのか?何%質が良くなりましたとか、何倍質が良くなりましたとかってのは客観的に言えることなのか?無理でしょ。言えるわきゃない。
ここで既に、お金で経済成長を測る手法に無理が生じている。典型的なのはパソコン市場だ。パソコンの性能は日々ぐんぐん上がり、値段は下がっていくのに、この業界を総売上で評価して「パソコン産業は停滞している」とか言う意見をたまに見かける。そんな評価に何の意味があるのか?的外れという他ない。性能が上がって、値段は安くなって、たくさん売れて、皆が日常的に使うようになったんだから、どうみてもパソコンの経済は成長してるでしょ?
3.多様化:去年よりいろんなリンゴをつくりました。
この多様化については論外である。そもそも量で測るということは「一次元化」することであり、多様化は「多次元化」することで、絶対に量で測れない変化だと言える。これを金や数値で計測しようとすることは、定規で重さを測ろうとすることと同じくらいバカげたことだ。いや、もっとバカげている。
例として、服について考えてみる。中国(仮)と日本(仮)という2つの国があるとしよう。両国の服産業は、下のような10着の服を1年に販売する。
1.中国(仮)の服産業

2.日本(仮)の服産業

金額で経済の多様性を見るということはこういうことであり、無意味という他ない。実際、かつての旧ソ連の産業は、先進国と比べるとこんな有様だったらしい。たぶん計画経済だった頃の中国も大差なかっただろう。(そしてこれが社会主義計画経済が滅びた理由だった。)
しかも、実は「3.多様化」で一番重要なのはこういう「もの」のバリエーションの増加じゃない。中心となるのは「ものの生産」から「情報の生産」へのシフトであり、経済のソフト化だ。情報をコピーするコストはほとんどゼロだから、「情報の生産」というのは「情報の量」を増やすことではあり得ない。「情報の質」を良くすること、もしくは「情報の種類(多様性)」を増やすのが情報の生産である。で、その生産って金額で測れるものなのか?
俺は会社でソフトを作っているが、windowsXPをもう1つ作ったりしてるわけではない。家ではぺったんを作ったりするが、ニコニコ動画をもう1つ作ったりはしない。この「情報の生産」は、既にあるものの量を増やすわけではなく、種類を増やす行為「3.多様化」だと言える。他には、ソフトのバグを直したり、改良したり、新機能を追加したりもする。これは「2.質の成長」である。情報の生産とはこういうものであり、明らかに「1.量の成長」ではない。こんな分野の経済を金額ベースで測って意味のあるデータが得られるんだろうか?
近代経済の進歩は、大量生産、大量消費の「1.量の成長」から始まった。ものが行き渡ってくると徐々に「2.質の成長」へとシフトし、いつしかそれも飽和して経済は「3.多様化」へと向かう。インターネットとかソフトウェアみたいな、最近の経済の発達の中心になっているものはこの「多様化」に属するものばかりで、いわゆる「ロングテール化」もこの多様化そのものである。一方で「2.質の成長」が既に意味を失いはじめているという興味深い意見もある。
fladdict.net blog: 「品質」という概念の価値が相対的に下がっている
コミュニケーションの踏み台にすぎないコンテンツでは、品質の価値が限りなく0に近づいていく。(中略)文明が発達し、コミュニティが細分化され、多コミュニティと関係をもたないで生きていけるようになればなるほど、共通認識としての品質の価値は減少し、コミュニティ毎の嗜好が品質と置き換わっていく。
つまり、経済の発展はどんどん「1.量の成長」からも「2.質の成長」からも遠ざかっているってことだ。こんな時代の趨勢をGDPのような量的指標で把握しようとするのは馬鹿げている。
ムーアの法則によって計算資源の価格が極小化したサイバースペースでは、情報の限界費用(複製費用)はゼロだから、その価格も遅かれ早かれゼロになる。競争が働く限り、それを避けることはできない。商品と価格が1対1に対応するという伝統的な市場のルールを、新しい経済原則が破壊してゆくのだ。
Free - 池田信夫 blog
池田氏が言うように、情報を売るのは難しいから、情報はお金と関係のないところで取り引きされるものがほとんどになってきている。だから、情報の経済の動向をお金で把握できるわけがないのだ。
さて、ここらで冒頭で引用したWikipediaの「経済」の項目をもう一度見てみよう。
経済(けいざい economy)とは、人間社会における生産・分配・流通・消費等の活動をめぐる関係性の総体をいう。
経済 - Wikipedia
情報の「生産・分配・流通・消費」が、日本においてインターネットとコンピュータの爆発的な普及とともに凄まじい速度で発展していることに異論はないだろう。ということは、この定義で言えば、日本の「情報の経済」は凄まじい成長を遂げていると言うことになる。これは「3.多様化」の観点から見ると、ここ15年ほどの日本は飛躍的な経済成長を遂げているということを意味する。
以下続稿。
失われてない十五年−2.日本人のインターネットへの異常な渇望
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こんな視点があったとは目からウロコの思いです。
お金にとって換わるものが急速に膨張しているわけですね。
労働者としての私は
これからは賃金が上がることよりも
ネットするための時間が増えることを期待すべきなのかな。