へだちの日記

最近ゲームクリエイターになった元エンジニアのブログ

フェイルセーフなメディアとしてのインターネット

先日の記事「正義は勝つ」から任天堂は勝つには多大な反響を頂きありがとうございました。最初に申し上げておきますが、この記事に寄せられた批判の8割は的を射ていると思います。「正義」という誤解を招く表現とか、セガ・マイクロソフト・海外市場など多くの重要なファクターについての考察が抜け落ちていること、PS〜PS2時代をひっくるめて「暗黒時代」などと乱暴に表現してしまったこと、などなど、頂いた批判の多くはまったく妥当なものだと思います。厳粛に受け止めたいと思います。

とは言え、僕はあの記事で取ったスタンスを変える気はありません。無知による誤りも、感情に歪められた不公平な見解も、減らす努力はしますが、ゼロにするのは不可能だし、そこまですべきだとも思っていません。

たかだか26の若造に過ぎない僕の意見になんらかの価値があるとすれば、それは客観性や正しさではないと思っています。そもそも僕は、ブログの記事というものはそれ単体で正しく完結している必要はそれほどなくて、記事に対する異論、反論、補足をすべて含めてなんらかの価値を生み出すことができれば、それでいいと考えています。重要なのは、間違いを誤魔化したり、異論・反論を封殺したりしないことです。

このサイトの文章は、オールドメディア(テレビ、新聞、本など)ではなく、インターネットという他の情報と密接にリンクしたメディアに載せられています。さらにコメント欄もトラックバック欄も解放してありますので、誤りは誰にでも指摘することができます。はてなブックマークでも多数の異論・反論が寄せられており、そこへもリンクを貼ってあります。僕はそれら全てを含めてひとつのコンテンツだと思っています。これは誤りを犯さないことよりも、誤りを犯しても大丈夫なようにしておくことを重視する、いわゆるフェイルセーフなシステムです。

半年前、「失われてない15年」という記事に以下のようなコメントを書きました。

僕は真実を理解するために重要なものは「複眼視点」だと思っているので、仮にこの「失われてない15年」で提示する視点が有効だったとしても、それは既存の経済学を否定することにはなりません。僕が矛先を向けているのは経済学でも、経済学者でも、政府でもありません。この複眼視点を破壊するものであり、多様性を破壊するものであるマスメディアです。

僕のこのスタンスに変化はありません。僕はインターネット上ではひとつひとつの情報の妥当性はそれほど重要ではなく、メディア全体で「多様性」が保たれていること、それによって「複眼視点」が可能であることのほうが大事だと思います。では、そのインターネット上に存在する情報の総体に、僕が提供できる価値があるとすれば、それは何か。

僕の強みは薄っぺらな人生経験しか持っていないことです。経験を豊富に積んでいる人は、過去を現在と照らし合わせて、未来を予想することができます。歴史は繰り返すものであり、過去に何度もあったようなことが現在も起こっており、そして未来にも起こるでしょう。だから経験は価値あるものです。しかし、未来はつねに新しいものであるがゆえに、過去になかったことが起き続けます。そのとき経験は先入観となり、新しいものを察知する障害となります。

そんな中で僕にできることがあるとすれば、それは「問題提起」だと思っています。つまり、無知で思考パターンが確立していないことを逆手にとって、知識や経験の豊富な人が最初から考えもしないような見解を提示し、議論の俎上に乗せるということです。あの記事はまさにその典型的なもので、「正義が勝つから任天堂は勝つ」という鼻で笑うしかないような、バカバカしいとしか言いようがないほど単純な意見を提示しています。たとえ相手が小学生だとしても、「どうして任天堂は勝ったの?」という問いに「正義は勝つからだよ」なんて答えたらバカにされて当然でしょう。

では、任天堂の成功要因を分析するにあたって、「正義が勝つから」なんていうふざけた見解を本気で検討する人が世の中にどれほどいるでしょうか?特に長年ゲーム業界を見てきたり、あるいは作る側として業界の中にいたりした人ほど、最初から微塵も考えないと思います。現実を目の当たりにしてきた人は、誰もがそれぞれの正義や理想を掲げてきたことを見てきたでしょう。あるいは、誰もが多くの問題を抱え、誤りを犯してきたことを見てきたでしょう。そうした人々ほどこんな単純すぎる見解を忌み嫌い、否定したくなるのではないかと思います。あのkanoseさんにこんな批判記事を書かれてしまったのがよい証拠です。

任天堂が勝っている理由はただ一点「宮本システム」にしかない - ハックルベリーに会いに行く[↑B]
「正義は勝つ」から任天堂は勝つ - ぺったんぺったん[↑B]

この辺を見て、ゲーム歴史修正主義という言葉が思い浮かんでしまった。id:setofuumiさんからは「俗流ゲーム史論」という素敵な言葉が。上の記事は、旧日本軍は悪いことを一切してない!ぐらいの勢いの捏造っぷりで、下の記事は旧日本軍の悪い部分は一切無視して功績のみを語るみたいな感じ。

任天堂伝説が生まれる背景って、こういった神格化が容易になされるところなんだなーというのを実感した。

俗流ゲーム史論 - ARTIFACT@ハテナ系より全文まるごと引用

しかし、僕の書いたあの記事は、はてなの人気エントリーに丸一日以上居座り、多数のニュースサイトやブログで取り上げて頂き、そのブログの記事のいくつかはホッテントリにも載り、結果としてすでに2万ほどのアクセスを頂いています。僕は勝間和代さんと違って、天下の日経に記事を書いたわけではありません。自分の過疎零細ブログにひっそりと載せただけです。僕の言葉に権威はありません。どうでもいい意見であれば、どうでもいいということであっさり決着が付くでしょう。そうならなかったということは、問題提起ぐらいの価値はあったのではないかと自負しています。

もう一つ。僕はあの文章で任天堂信者だと公言していますし、「信者の鏡」だとか「愛の文章」などという評まで頂いてしまったように、それほど客観的な文章を書こうとは思っていません。別に論文を書いているわけではないので、感情に基づく主張が混ざっていたところで問題があるとも思っていません。とはいえ、それが引き起こした事実誤認については批判されて然るべきです。PS期までひっくるめて暗黒時代などと呼んでしまったのは、我ながら信者バイアスかかってるなーとは思いますが、この箇所のように感情が明らかに事実認識を歪めているな、と納得したらその点は改めます。

僕は主観も感情も排斥せず、自分の思ったことをそのまま書いています。だから僕の文章には、単なる感情の表明にすぎない部分と、それなりに客観的な妥当性を持っている部分が入り交じっていますが、僕はそれでいいと思っています。インターネットはフェイルセーフなメディアであり、オールドメディアよりも発言者の誤りは許容されます。このシステムの上でさまざまな人が発言すればするほど「複眼視点」が強化されます。この自由と多様性こそがオールドメディアが持ち得なかったインターネットの長所であり、これによってインターネットはオールドメディアを越え、真実を見通すための最善の方法となるはずです。

世界は広く、因果の鎖は果てしなく続いていて、その全てを自分の視界に収める事なんて到底できはしません。僕にできるのは、自分の見たものや感じたことをネットに垂れ流す程度のことでしかありませんが、それによって自分が「複眼」のひとつとなることができるなら、それは十分に意義のあることだと思っています。


P.S
僕が任天堂を支持するのにははっきりとした理由があって、大雑把に言うなら「双方向性とインタフェースの重要性を一番理解しているのが任天堂だから」ということです。SCEにゲーム業界のリーダーたる資格がないと思っているのも同じ理由です(Wii&DSの大ヒットを見てインタフェースの重要性は嫌と言うほどわかったでしょうから、今後SCEも変わってくるかも知れませんけど)。

このテーマでも記事を書こうかと思っていましたが、あの記事が反響を頂いたおかげでゲーム業界関係者の方の意見をたくさん聞くことができまして、自分みたいな業界外の人間が偉そうなことを書くのもどうなんだろう、とちょっと迷ってます。この記事の本文の主張の通り、僕は「自重はダークサイド」派ではあるんですけどね。。

ところで、PSのデュアルショックのアナログスティックと振動機能って、64の3Dスティックと振動パックのパクリだと思っていたんですが、twitterでこんな意見を頂きました。

販売タイミングは振動パックが先だけど、デュアルショックは半年しか発売がずれててないから開発はほぼ同時進行だったと考えるべき。たった半年で入力デバイスを後だしで開発/販売出来るほどゲームハード作りは甘くないよ

ちょっと調べてみた感じでは、デュアルショックの振動機能は振動パックのパクリ、というのが定説ではあるようですが、実際のところどうなんでしょうか?この点によって僕のSCEへの評価はガラっと変わってしまうので、詳細をご存じの方がいらっしゃったら教えて頂けると嬉しいです。

(さらにP.S)
振動パックという商品の発表そのものはもっと早かったので、SCEはアイディアをパクったということで非難されたのではないか、というご意見を頂きました。なるほど。アナログスティックに関しても似たようなものかも。

P.S 2
experienceを「エクスペアリアンス」とする表記につっこみを頂きましたが、たぶん本当は「イクスピアリアンス」ぐらいのほうが実際の発音に近いので、「エクスペリエンス」という表記はあまり好きじゃないんですよね。でも、こんな半端な表記するぐらいなら、定着してる「エクスペリエンス」のほうがいいような気がしてきたので、以後これで統一しようと思います。

ところで、「ユーザ・エクスペリエンス」という概念は今後ものすごく重要になるものだと思っているんですが、この言葉は長いし表記にゆれが生じやすいので嫌いです。適当な言い換えも思いつかないので、やむを得ずそのまま使っていますが、なんとかならないかなぁ。いい訳語があったら教えてください。

(さらにP.S)
頭文字を取ってUEとかUXとするというご意見を頂きました。Personal Computer → PC とか Internet Explorer → IE みたいなものもそれなりに定着してるし、たしかにこれもアリかも。

「正義は勝つ」から任天堂は勝つ

勝間和代氏が任天堂について書いた記事を見つけた。

競争相手を生かさず殺さず・任天堂の収益性が高い理由 ビジネス-最新ニュース:IT-PLUS

フィナンシャル・タイムズ紙はその理由を、以下の2つと分析している。

(1)任天堂が「Wii」の製造を始め、極力アウトソーシングで行っていること。従業員は3000人足らずしかいない。
(2)利益の割に1人当たりの人件費が安いこと。ゴールドマン・サックスの2007年の従業員1人あたりの平均給与は66万ドルであったが、任天堂の平均は9万900ドルでしかない。

 とはいえ、任天堂の1人当たりの収益性が高い理由を、アウトソーシングと人件費に求めるだけではどうもまだしっくりこないので、なぜ任天堂がそのような高い収益性のビジネスモデルを維持できるのか、もう少し考えてみたい。

フィナンシャル・タイムズ紙の分析は、数字しか見ていない薄っぺらな素人見解で、ここについては同感。勝間氏のほうは、表題の「任天堂の収益性が高い理由」を3つを挙げている。これを順に考察してみる。

(1)ほとんどの会社が真似できないほどの多額の研究開発費を使える

これだけだとあまり説得力がないけど、勝間氏自身も、

しかし、研究開発費だけを見ると、「プレイステーション」を作っているソニーは年間900億円をつぎ込んでいて、任天堂の倍である。それでもなぜ、ソニーは任天堂ほどもうからないのか、その鍵はこれからの項目にある。

と言っているので置いておく。さて次。

(2)オーバースペックを避けて、試行錯誤で改善を繰り返している

任天堂とソニーの違いは、任天堂はゲーム機で高いスペックを追求するよりは様々なタイプの製品を投入して、一発勝負を避けるようにしていることだ。市場の反応を見たうえで、試行錯誤を繰り返し、改善を続けていることにある。

vb_01「一発勝負を避けるようにしている」という認識は間違っている。任天堂はWii、DS、バーチャルボーイなど、斬新であるがゆえに計算の立たないようなゲーム機を、莫大な開発費をかけて何度も投入してきた。そしてバーチャルボーイでは見事にコケている。


fa-d_02特にゲームの配信システムについては何度も大々的に失敗しており、ディスクシステム、(※1)勝間氏の挙げたサテラビュー(※2)、スーパーファミコンパワー、64DDとことごとく失敗していて、結局今までのところ、普通のパッケージ販売以外はまともに成功したためしがない(Wiiのバーチャルコンソールについて判断するのは時期尚早だろう)。決してローリスクな戦略は取っておらず、むしろハイリスクハイリターンで当たり外れが大きい。
(※1)ディスクシステムは失敗と言うほどではなかったようなので訂正。コメントのご指摘によると「ディスクシステムが失敗とは言いすぎです。営業的にも成功しています。さらに理想を追求したところまで届かなかったというのが正解にちかいのではないでしょうか。周辺機器としてはかなり成功したほうだと任天堂は言っていました。」という話。Wikipediaなどもご参照下さい。
(※2)氏の記事には「古くはファミコンを衛星放送につなげて通信でゲームを配信することを行っていたが、これもうまくはいかなかった。」とあるけど、これはファミコンじゃなくてスーファミのサテラビュー

「スペックを追求しない」というのは正しいけど、それはリスク低減とは何の関係もない。これはゲーム屋からすれば当たり前の話で、ゲームにおいて重要なのはスペック(性能)ではなく、インタフェースなどを含めたユーザ・エクスペリエンス(ユーザ体験)である。ソニーはしょせん電機屋だから、スペックのような数値化できるものばかりを重視する文化があるだけで、ゲーム屋にとってはスペックなんてゲーム機の一要素に過ぎない。本当に大事なのはユーザ・エクスペリエンスであり、だから任天堂は勝間氏の言うように「様々なタイプの製品を投入」するのだし、新しいゲーム機を出すたびに、コントローラの形状に徹底的な変更を加えてきたのである。

ということで、これもピントのずれた素人の意見である。しかし、

 (1)と(2)を合わせると、ベンチャーキャピタルモデルということもできるだろう。多額の資金を投入し、試行錯誤を繰り返しながら、うまくいきそうな市場には大量に追加投資をして市場を育てていくのである。

この指摘は正しい。たまに「日本もシリコンバレー型に移行しろ」みたいな話(※)を見かけるけど、俺はこの指摘は間違っていると思う。試行錯誤は必要だけど、それを社会の中のどのレベルでやるべきかは文化によって異なる。日本の場合、会社を作ったり潰したりを頻繁に繰り返すスタイルは合わない。あれは個が強いぶん集団としてのまとまりを保つのが下手なアメリカ人向けのモデルであって、日本人には日本人の良さを生かしたやり方がある。その1つは任天堂のモデルである。
(※)池田信夫氏、梅田望夫氏、海部美和氏あたりが言ってたような気がする。

任天堂はプロジェクトをしょっちゅう途中で潰すので有名だけど(※)、これはシリコンバレーで行われているような試行錯誤を社内的にやっているということだ。会社そのものを作ったり潰したりする代わりに、プロジェクトのレベルで作ったり潰したりするのである。任天堂は昔からこのスタイルを貫いて成功しているわけで、日本の企業が目指すべきはこのスタイルだと思う。そもそも国内に見本となる企業がいるのに、文化のぜんぜん違う海外のシステムをマネするようなリスクを犯す必要性があるだろうか。欧米のものをありがたがるのも程々にすべきだと思う。
(※)「サウンドファンタジー」や「MOTHER3」など、表に出てきていた企画ですらしょっちゅう潰している。裏ではもっと潰しているだろう。普通のゲーム会社は出来が悪くてもプロジェクト自体を潰すことはあまりなく、クソゲーができちゃっても販売はするので、この点が任天堂は特殊である。

(3) 限られたメンバーの抑制された競争を演出している

この見解は間違っている。素人は数字以外の違いがわからないから、ゲーム機本体の価格なんぞに目がいくんだろうけど、そんなものはゲーム機戦争においてそれほど重要なものじゃない。経済アナリストとかいった人々がこういう勘違いをする原因は、任天堂、ソニー、マイクロソフトが「ゲーム業界」という同じ土俵で戦っていると思っているからである。この3社がひとつの業界にいて、競合製品を作っていると考えるのは無理がある。実際には、3社とも全然違う方向を目指して、全然違うものを作っている。

_SL500_AA280_任天堂は昔からカルタやトランプを作っていた、伝統あるゲームの会社である。でもソニーは電機屋だし、ソニーのゲーム業界で活動を担当するSCEは、社名からして「ソニー・コンピューター・エンターテイメント」なので、ゲームの会社ではなくて「コンピュータ・エンターテイメント」の会社だと思ったほうがいい。マイクロソフトについてはこの記事では触れないが、言うまでもなくゲームの会社ではない。


SCEはゲームの会社ではないので、ゲームそのものにこだわりはない。コンピュータを使ったエンターテイメントのひとつとしてゲームがあって、たまたま今のところゲームが中心になっているだけである。実際、初代PSには既にCD再生機能があった。そしてPS2にはDVD再生機能がついていて、DVD再生機としてPS2を買う人が非常に多かった。その次には、黒歴史と化したPSX(PS2にハードディスク搭載DVDレコーダーをつけたもの、販売元はソニー)なんてものもあった。PSPもゲーム以外にさまざまな機能があることが売りである。

そして、PS3では明確にエンターテイメント・コンピュータを志向し、自らそう宣言していた。PS、PS2と連勝したSCEは既にゲーム業界を制圧したと考え、本来の自分の主戦場であるエンターテイメント・コンピュータ業界に視野を向けたのだろう。

PS3、“59,800円”の意味 - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース

PS3はゲームコンソールではなく、エンターテイメントコンピュータとなり、オンライン経由のコンテンツなどの受け皿となり、“ある程度”オープンなプログラミング環境となる。そのためのHDD標準搭載とコストアップ、そしてコンピュータとしての価格設定を取ったということだ。

 ゲームコンソールとしては明らかに高い価格は、それだけのバリューを提供できるという、SCEIの自信の表れと見ることもできる。また、ゲームコンソールと見られる限り、HDDを標準で載せたり、性能に見合ったコンピュータとしての価格がつけられないという束縛から脱却しようという意図の現れでもある。

このように、SCEと任天堂のあいだでは「ゲーム業界」に対するスタンスが決定的に違う。SCEにとっては、「エンターテイメント・コンピュータ業界」こそが制圧すべき場所であり、たとえゲーム業界が滅びても、エンターテイメント・コンピュータ業界がそのぶん伸びるならそれで構わないのである。だから、ゲーム業界そのものの将来を考えるインセンティブがないため、そのSCEがPS〜PS2でゲーム業界を支配していた頃は、ゲーム業界の暗黒時代だった。(※)そのSCEによる支配が長引くと業界は弱体化し、PS2期には「マニア向け・大作志向」が強まってゲーム業界の暗黒時代が訪れた。任天堂はわざとカラーにしなかったという初代ゲームボーイや、DS、Wiiなどに見られる通り「マニア向け、大作志向」のソフトが氾濫しないようにプラットフォームをつくることの重要性がわかっているが、SCEにはこういった「業界全体をどう導くか」という視点が欠けていると思う。
(※)PS〜PS2期すべてを暗黒時代と呼ぶのは不適切との指摘があったので訂正。

一方の任天堂はゲームの会社であり、また日本のゲーム業界の生みの親でもあるので、ゲーム業界全体の将来を考える。これは任天堂が偉いとかいう話ではなく、自ら生み出したゲーム業界こそが任天堂にとってのホームグラウンドであり、一番戦いやすい場所だから、業界のリーダーとなってそれを守り育てていこうとすることは戦略的に見ても正しい。だからこそ任天堂は、昔からゲームの品質を保つことにはすさまじく高いこだわりを持っていた。多額の開発費を投入した後でも、ダメだと判断したプロジェクトは潰してきた。このこだわりのゆえに「NINTENDO64」対「初代PS」の時代には少数精鋭主義を取り、広く門戸を開いてたくさんのサードパーティを集めたSCEに足下をすくわれたりもした。そして、創業家出身の3代目社長だった山内溥が4代目に抜擢した岩田聡は、こんな人物だった。

岩田聡 - Wikipedia
彼はHAL研究所時代から、「ゲームを豪華に、そして高度で複雑なものとするだけでは、ゲーム熟練者(ヘビーゲーマー)に飽きられ、今までゲームに触ったことのない初心者にもとっつきにくいものになり、市場がゆっくりと死んでしまうのではないか」という考えを持っていた。

たとえ任天堂がゲーム業界を制覇しても、その業界がしぼんでいってしまうようでは意味がない。ゲームヲタクが喜ぶようなゲームばかりを作るのではなく、新たなユーザを取り込み、業界全体を活性化させなければならない。任天堂は業界のリーダーとしてそう考えるべきであり、岩田はそのトップたる資質を持っていた。

コントローラで勝負する任天堂「Revolution」 - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース

2003年のスピーチで、岩田氏は、ゲーム業界に対する任天堂の現状認識を明確にした。ゲーム業界はファミコンから20年、順調に発達して来た。しかし、今、業界は発展するか衰退するか、岐路に立っているという。今までと同じこと(映像やサウンドを豪華にする)を続けていれば発展すると考えている人は多いが、任天堂はそう考えていない。ゲーム市場を拡大しなければ活路はなく、問題は市場(=ゲーム人口)をどうやって拡大するかにあるという。シンプルに意訳すれば、Xbox 360やPLAYSTATION 3のようなアプローチでは、ゲーム人口を拡大しないから、ゲーム市場は衰退すると言っているわけだ。

 そして、こうした現状認識のもとに、2003年から、任天堂が進めてきたのは次の3つのポイントだという。

(1)ゲームから離れてしまった人を呼び戻す
(2)新たに今までゲームをしていなかった人を呼び込む
(3)ゲーム熟練者もゲーム初心者も楽しめる新しい商品を提案する

岩田就任後、DS、Wiiと立て続けに革新的なゲーム機を投入して大ヒットさせた任天堂の快進撃についてはここで書くまでもないだろう。立て続けとは言っても、実はDS発売時は「ゲームボーイアドバンス2」という後継機種(画面がひとつ)も並行してつくっていたらしいので、岩田は最初からハイリスク・ハイリターンな戦略を取ったわけではない。DSが大当たりしたので、従来の延長線上にあったゲームボーイアドバンス2には見切りをつけ、さらにWiiという冒険的なゲーム機を投入するリスクを犯すことができた。そしてそれがまた当たったというわけだ。

岩田率いる任天堂は「業界からSCEやマイクロソフトを駆逐してやろう」なんていうケツの穴の小さいことは考えていなかった。ゲーム業界のリーダーとしての自覚を持ち、レッドオーシャン(既存の市場)でのパイの奪い合いに終始することなく、ブルーオーシャン(未開拓の市場)へと舵を切って成功した。実際、DSがあれほど記録的に売れたにもかかわらず、PSPもそこそこ売れている(※)のを見てわかる通り、従来の延長線上にあるSCEのゲーム機と、任天堂のゲーム機はそれほど競合しない。両者がもたらすユーザ・エクスペリエンスが決定的に違うからである。任天堂がブルーオーシャンへと向かってくれたおかげで、PSPもビジネス的には成功し、任天堂は業界全体の活性化に成功した。PS3についてはSCEが勝手にコケただけで、普通にPS2の延長線上のものを作っていれば、PSP程度の成功は収めた可能性が高い。スペックの高いゲーム機でゲームをしたいという需要はそれなりにあって、任天堂はその需要を切り捨てたからである。
(※)実際には「そこそこ」というには語弊があり、既に日本で1000万台、世界で4000万台を突破しているらしい。販売台数でDSに負けているというだけの話で、携帯機は初参戦だったこと考えると信じがたいほどの大成功だと言える。

「競争相手を生かさず殺さず」を任天堂の収益性の高さの理由とする勝間氏の分析は、任天堂がSCEやマイクロソフトを潰しに行っていないという意味においてのみ正しいが、やはり的外れである。では何が理由なのかというと、それは表題の通りで、


正義は勝つ


から任天堂は勝ったのだと思う。収益性が高い理由も同様だ。これは精神論ではない。ここで述べたいのは「戦略としての正義」の有効性である。もちろん正義は常に勝つとは限らないけど、統計的に言えば「正義は勝つ」のである。

任天堂は業界のリーダーとして常に高い志を掲げて、面白いゲームを作ることを目指し、ゲーム業界の発展を目指してきた。この理想はゲーム業界にとって紛れもない「正義」だった。だからこそ、任天堂の社員は高い士気とプライドを持ち、ゲーム開発者たちは任天堂に敬意を持ち、俺のような「任天堂信者」を多数作ることができた。これは「正義」のもたらす直接的なアドバンテージである。

SCEが「ゲーム業界」そのものについてさほど重視していないことは明らかなことで、ゲーム業界にはSCEを悪者扱いする人も多かった。「作る側」に近い意識を持つ人ほど多かったと思う。小さい頃からゲーム業界を志していた俺も、SCEが市場を支配しはじめるとアンチソニーになり、任天堂ファンになった。その前は任天堂のことは好きでも嫌いでもなかったけど、SCEの登場によって任天堂こそがゲーム業界のリーダーにふさわしいことが分かった。もちろん、任天堂だっていろいろ汚いこともやってるし、流通をはじめとして問題点も多い。でも、任天堂はSCEよりもゲーム業界全体のことを考え、ゲーム業界のためになることをやろうとしていた。ゲーム業界にとっては、明らかに任天堂が「正義」だったのだ。

media_cdrom_cdr_cdrw実は、SCEがゲーム業界の「正義」だったこともあった。それはSCEの参入直後の時期で、連戦連勝していた任天堂が殿様商売をしていた頃である。SCEの開発力は、ソフトにおいてもハードにおいても任天堂とは絶望的に差があった(今もあるけど)。そこでSCEは、安価で高速に生産できるCD−ROM、低いライセンス料、優れた流通体制、低い開発コスト、低い参入基準などによって、サードパーティ、小売店、ユーザを引きつけ、ゲーム業界の「正義」となった。だからSCEは勝つことができたのである。

でも、結局のところSCEはソニーの子会社であり、ゲーム業界の運命共同体ではないので、長期的にはゲーム業界のためになることをしようとはしない。人間と一緒で、こういう全体のことを考えられない奴は将器ではないのである。ゲーム機ではなくエンターテイメント・コンピュータを作ろうとしているSCEは、明らかにリーダーにふさわしくなかった。だから、リーダーを追い落とした途端に業界を衰退へと向かわせ、結局はSCEと違って業界全体のことを考えていた任天堂に負けた。SCEはゲーム業界にとって明らかに悪い支配者だったのである。

とはいえ、正義と悪は相対的なものだ。SCEの掲げた方向性はゲーム業界にとっては悪だったが、たぶんエンターテイメント・コンピュータ業界にとっては正義だったんだろう。問題は、そこには住人がいなかったことだ。もちろん今もいない。将来この業界が成立するとすれば、そこの住人から見て任天堂は「悪」となるだろう。SCEが作ろうとしたエンターテイメント・コンピュータ業界の芽を摘んだものとして歴史に名を刻まれるからだ。でも、既にゲーム業界にはたくさんの住人がいて、エンターテイメント・コンピュータ業界にはまだぜんぜん住人がいないのだ。

正義と悪がいれば、人は正義に味方する。ゲーム業界の住人は任天堂を正義として支持する。一方、SCEの基盤とするエンターテイメント・コンピュータ業界には住人がいない。よってSCEが負けることになる。これは社会の力学の問題である。正義であることは常に有利で、そこには目に見えないたくさんの力が集まるのだ。ゲーム屋である任天堂の理想はゲーム業界の理想と一致するが、SCEの理想は一致しない。もちろんマイクロソフトも。だから、ゲーム業界で戦う限り、最終的には任天堂が勝つのである。

任天堂は今後もブルーオーシャンを開拓し続けるだろうから、たまにはバーチャルボーイのような失敗作(※)を作ることもあるだろう。64時代の少数精鋭主義のような誤った戦術を取ることもあるだろう。でもそんなことは、大局的な戦略の正しさに比べれば些細なことだ。任天堂はいいゲームを作ることを追求しつづけているし、いつでも業界全体の発展を目指している。これはゲーム業界にとって明らかに正義であり、任天堂の戦略の根底にはこの正義が根付いているから、任天堂は「戦略としての正義」によるアドバンテージを享受し続けるのである。
(※)個人的には、任天堂があのタイミングでバーチャルボーイを作ったことは先見性の証だと思うので、高く評価している。今更になって某国で流行ったりもしているらしいし(笑)

フィナンシャル・タイムズが言っているような任天堂の長所は結果に過ぎない。勝間氏が言っていることも素人の推測に過ぎない。任天堂が勝ち続ける理由は、任天堂が正義だからである。業界リーダーとしての自覚とともに背負う責任の重さが、任天堂をゲーム業界の正義たらしめる。そして、P・F・ドラッカーが指摘しているように、責任を背負うものにこそ力は与えられるのだ。

任天堂がゲーム業界の外で戦おうとするなら話は変わる。でもゲーム業界は、阪神タイガースにとっての甲子園みたいなもので、だいたい任天堂が勝つようにできているのである。先代社長の山内溥はこのことをよくわかっていて、”岩田を社長に任命する直前、一対一で3時間みっちりと経営哲学を語り、この際に「異業種には絶対手を出すな」と言い残した”そうだ(Wikipediaより)。

imagesしかし、ゲーム業界が衰退期に入っているのは事実で、実は岩田はこの先代の教えを忠実に守っているわけではない。DSがヒットしたのは「脳トレ」などのいわゆる「シリアスゲーム」(実用性のあるゲーム)のおかげであり、Wiiでも「Wii fit」のような到底ゲームではないようなものが主戦力になっている。これらはゲームと呼ばれているだけで、本質的には明らかにゲームではないものであり(200万本以上の大ヒットとなった「えいご漬け」なんて誰が見たってゲームじゃない)、実際にはゲーム機で動くゲームでないものが売れているだけで、ゲームそのものは明らかに売れなくなっているのである。だから、任天堂のつくっているものが本当にゲーム機と言えるのかは怪しい。

それでも任天堂は、自らの作るものを「エンターテイメント・コンピュータ」などと呼ばない。あくまでゲーム機であると言う。そして実際、ゲームのためのハードウェアを作っていて、他の用途は副産物である。任天堂はゲーム屋を自認し、ゲーム業界で戦い、ゲーム業界を見捨てない。従来のゲームに衰退の兆候が見えてきた今も、リーダーとしてゲーム業界全体を方向転換させ、守っていこうとしている。任天堂はゲーム業界にがっちりと根を張っているので、SCEのように汎用的で方向性のあいまいなハードをつくることはない。任天堂とゲーム業界は運命共同体であり、その理想はおおむね一致する。だから、任天堂はゲーム業界の正義であり続ける。

俺は、今の半分の歳のころから任天堂の正しさに確信を持っていたけど、任天堂が復活してここまで躍進するとは思っていなかった。でも任天堂は再びよみがえって「正義は勝つ」ということを俺に教えてくれた。だから俺も任天堂を見習って、正義と理想を貫いて生きていきたいと思う。

反響御礼記事:フェイルセーフなメディアとしてのインターネット

サバイブSNSのバーベキュー行ってきた

280001071a「秋川国際マス釣場」というところでバーベキューしてきました。

「河原」「バーベキュー&釣り」「子供6人を含む20人超の大集団」という組み合わせがよかったのか、いつもにもまして楽しいオフでした。主なサバイブSNS外の参加者様は、

まなめさん(まなめはうす)
タケルンバ卿(タケルンバ卿日記)
和蓮和尚さん(キャズムを超えろ!)

と相変わらず無闇に豪華です。今回はサバイブのオフということになってはいますが、半分ぐらいサバイブ外の方で、いつもとは大分違う面子でした。

僕は始発に乗るために5時ごろ出発して、現地に着いたのが10時頃なので、考えてみるとそこまで5時間もかけたことになるんですが、道中もいろいろお話しながらで退屈しませんでした。

飲食店で人と会うときって、場所が狭くてあんまり話できない人が出たりするのが嫌なんですが、今回のオフはそういうことが一切なくて自由に動き回れたのがよかったです。広さって大事ですね。まなめさんは誰かの家でオフやったりすることが多いらしいんですが、やっぱりそのほうが楽しいかも。早期のサバイブハウス設立が望まれるところです。僕も引っ越したら自宅でいろいろやりたいな。

あと、小さい子がたくさんいのも楽しかったです。普通のオフ会だとこういう面子にはあんまりならないんだろうけど、僕はこんな感じのほうが好きだなぁ。いろいろ話は聞いていたひまわりさんのお子さんもかわいかったし(下の子はいやいや期だから?あんまり僕と遊んでくれませんでしたが)、弾さんの娘さんは釣りまくって(戦果7匹)エースだったし、みんな走り回ったり石を投げまくったりと最後まで元気で、子供のエネルギーのすさまじさを見せつけられました。帰りの車では寝ちゃってたんだろうな。

その後10人ほどで2次会に行って、最後に島さんとreponさんとコーヒーを飲みながらちょっと雑談して、24:00頃帰宅しました。前日2時間も寝てなかった割にはあまり眠気も疲れもありませんでしたが、今日はそのぶん眠くて2度も昼寝をしてしまいました。

参加者の皆さんおつかれさまでした。オフ会ってほんとに楽しいなぁ。

※追記:まなめさんにとんでもないことを書かれてしまったので(下のほう参照)、とりあえずスター連打しておきました。

※追記2:タケルンバ卿、reponさんもオフレポ書かれてます。

4日間をひたすら駆け抜けた記録 - タケルンバ卿日記
タケルンバ卿に抱かれても良い - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)

reponさんの記事といい、先日twitterで発覚したけまらしい出来事といい、タケルンバ卿のアイドルっぷりに嫉妬です。

アルファブロガーのオフ会に紛れ込んできた

今日はlove_chocolateさんにお誘い頂いて、Geekなぺーじのあきみちさん、Attribute=51のぐりさんと飲んできました。と書くはずだったんですが、行ってみたらなんとタケルンバ卿(※)までいらっしゃって、すさまじくアルファブロガーな方々に囲まれた飲み会になりました。この面子に僕というのはどう考えても非常に場違いなんですが、あまり気にしないことにして楽しんできました。
(※)今度から「俺、貴族の知り合いいるぜ!」っていろんな人に自慢したいと思います。

ネットで知り合った方は中身が濃い方ばかりで面白いです。僕はあんまり自分が話をするのは得意ではなく、ひたすら聞き側にまわるタイプなんですが、オフ会で会う方とはだいたいスムーズにコミュニケーションができるみたいです。みんな考えてることが面白いから、聞きたいことは次から次へ沸いてきて、話題に困ることはないんですよね。テレビとか時事、流行みたいな「普通の話題」が主体になる集まりは苦手なんですけど……

第1回サバイブオフ以来、週1〜2回のペースでオフ会に参加してますが、飽きる気配はありません。最近まで自分のことを非社交的な性格だと思ってたんですが、それは普通の人にたいしての話で、普通じゃない人(褒め言葉です)に対してはそうでもないのかも。オフの度に距離の遠さがネックになるので、さっさと東京に引っ越したいです。向こうに行ったらtwitter再開しようかな。どうもオフ会の情報はあっちを流れてることが多いようなので。

今は帰りの電車で、まだ家についてないんですが、明日はサバイブバーベキューオフに参加するので、5:11の始発に乗らないと間に合いません。起きられないことはないと思うんですが、電車の中で寝ちゃって駅をスルーしないように気をつけないとなぁ。。いつでもどこでも寝てしまう人間なので、良くやるんですよね、昔から。

あ、そういえばお肉もおいしかったです。ご一緒して下さった皆さま、とくにお誘い下さったlove_chocolateさんには本当に感謝いたします。

普通の人がプログラミングについて誤解してること

僕は「書く」ということが好きらしく、文章を書いたりプログラムを書いたり、書くことばかりの日々を送っています。この2つの「書く」は、ふつうは一つの行為とは見なされませんが、僕は案外似たようなものではないかと思ってます。プログラムは「プログラミング言語」で書かれ、日本語の文章は「日本語」で書かれますが、「言語という記号体系に従って頭の中にあるものを文字で表す」という点は同じだからです。

両者の大きな違いは「読者」で、普通の文章は「人間」が読むものですが、プログラムは「コンピュータ」が読むものです。というのは嘘で、実際にはプログラムは「人間」にも読まれるものなので、たぶんプログラミングを知らない多くの人が思っているよりもはるかに、人が読めるように書くことが重要です。

プログラムを書くことと普通の文章を書くことには、かなり似た能力が要求されます。プログラムは正しく動いてバグがなければいいというものではありません。プログラミングが理系っぽいか文系っぽいかと言えば、一般的には「理系」という認識だと思いますが、案外そうでもないです。美的感覚や言語能力が大事で、コミュニケーション能力が要求されます。人間にとって読みやすく書く必要があるからです。

まず少なくとも、自分が書きながら読むことは間違いありません。あまりにも読みにくいと、この段階で既に支障が出ます。あとでバグを直したり、改良したりするときも読むことになります。何ヶ月も前に書いたプログラムを読むというのは毎日のようにあることですが、グチャグチャなプログラムを書いていると、この時に「書き殴ったメモをあとで見たらさっぱり意味がわからない」的な状況に陥ることになります。

チームを組んでプログラミングをする時は、自分が書いたプログラムを他の人が読んだり、書き足したり、変更したりすることも当然あります。この場合は読みやすさがより重要になることは言うまでもなく、読みにくいプログラムしか書けない人はチームの開発では役に立ちません。

たとえ自分が書いたプログラムであろうと、数時間、数日も経てばあらかた忘れているのは当たり前です。だから、他人に見せる可能性がゼロでも、読みやすさ、わかりやすさ、簡潔さなどに気を遣って書いていかないと、あとで自分が読んだ時に全然わからなくなります。人間にとって読みにくいプログラムは良いソフトを生みません。直したり、改善したりするのが大変だからです。そのとき動けばよい、というプログラムの書き方をしていると、だんだんプログラムはグチャグチャで解読不可能になっていって、長期に渡って作り続けていくのが不可能になります。読みやすく書くことができれば、1つのソフトを作り続けていくのは簡単になります。

だから結局の所、プログラミング能力は文章能力にかなり比例します。良いプログラマの多くは良い文章家です。数学的な素養はなくても案外なんとかなるもので、少なくとも僕は数学がさっぱりです。高校生レベルの数学も全然わかりません。

文章を書くのが好きだったり得意だったりする方は、プログラミングの方にも手を出してみてはいかがでしょうか。案外、そっちのほうが才能あったりするかも知れませんよ。


※おまけ:実際にプログラミングをはじめてみたい方へ

プログラミングは最初のハードルが高いです。僕は中学生ぐらいの頃からいくつかのプログラミング言語の習得に挑戦してきましたが、3年ぐらい前に仕事で毎日やるようになるまでは全て挫折しました。

まぁ実際には挫折っていうか「飽きた」って感じなんですが、初心者の頃はプログラムを読んでも難しくてあんまり頭に入ってこないし、書きかたもよく分かんないし、やっててあんまり面白くないんですよね。思ったことをパッと実現できるようになると楽しいし役に立つんですが、最初の頃はその実現のコストが高すぎるので、なかなか壁を越えられないと思います。

でも、それって普段使ってる母国語以外なら当たり前のことで、プログラミング言語に限った話じゃないんですよね。最初がかったるいのはどんな言語でも同じことで、ふつうの外国語でもそうだと思います。それをプログラミングの難しさだと勘違いするのはともったいないです。言語というのは記号がたくさん集まって構成されるもので、最初はその記号の意味が1つもわかんないわけですから、才能の有無に関係なくつまんねーのは当たり前のことです。

だから、プログラミングをやってみて挫折した経験がある人や、やったことない人の中には、最初の壁さえ越えればメキメキ上達する人がたくさんいると思います。もったいないので是非やってみて下さい。

言語のほうは、小飼弾さんも薦めているjavascriptをおすすめします。特に自分のブログやサイトを持っている方は絶対ここから入ったほうがいいです。
404 Blog Not Found:私がJavaScriptを初心者用の言語として選んだわけ
最近はよい入門書も発売されたようで、下はその入門書を紹介した弾さんの記事です。javascript入門書の記事のタイトルをjavascriptで書いてしまうのはちょっと問題があると思うけど(笑)
404 Blog Not Found:if (you.learn('JavaScript')) Books.toRead[0] = this; // 書評 - Head First JavaScript


※追記:堀江さんもこんなことをおっしゃってるのを発見。さすが。
大体プログラム書くのに数学や物理が得意な必要全く無いのにね。
プロフィール
エンジニア稼業の傍らで「Gladiators」などを開発していましたが、最近ゲーム開発を本業にすることになり、新たなるソーシャルゲームを開発中。

本名は福田考行。1982年8月2日生まれ、株式会社GENOVA所属。twitterはこちら
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